最近はありがたいことであるが、やることが沢山あって、ブログともご無沙汰になってし

まった。

 当初からお世話になっている常連S様から連絡があり、かかりつけの病院の付き添いを

頼まれた。

 Sさんは大病を患っており、そのための定期治療が始まるのだ。

 出かける前に、Sさんが育てているジャガイモの目欠きと施肥、土寄せを頼まれた。ジャ

ガイモは小さい新芽が5,6個出ている。S様は畑仕事が好きで、ここまで育てたが、今はし

んどくなってしまって、この先は僕が代行することになった。えっさえっさと鍬を振るう。

これで、収穫までの準備は万端だ。


 それから病院へ出発。道中いろいろなことを話した。お寿司が好きなこと、魚の煮物が好

きで鯛一匹買ってきて煮魚作ったが、食欲なくてほとんど食べられなかったこと。ご家族の

事とか・・・。

 
 定期治療初日は血液検査から始まる。

その結果が出るまでに数時間。また混んでいるので、呼ばれるまでの数時間。治療の数時

間。治療後も血中酸素濃度が低くて酸素ボンベを携帯する手はずを取るのに数時間、あれよ

あれよで結局一日中病院にいた。
 
 
 次の日も治療に向かう。この日も一日かかった。

 
 通院するのにもこれほどの労力を使うのかと思った。


 帰中、S様は「食欲ないけどしっかり食べて体力つけなきゃねぇ。」と口にする。

 S様とて良くなりたいのだ。


 次の日も病院へ向かう。

 玄関に入って
 
「こんにちは~。調子はどんなですか?」と声をかけると、

「あ・ま・り、良くないです・・・食欲ないから昨夜カルピスばかり飲んでいたら下痢をし

てね。シーツ替えたり、着替えたり大変だった。」と力少なで、ぽつりぽつりといわれる。
 
S様はあまり食べてないせいか日に日に痩せていってるのが見て分かった。動くのもおぼ

つかない感じだった。

「良ければ食事作りましょうか?」

「ありがとう。じゃあ炊飯器でお粥炊いてくれる?」

 言われた通り3合分のお粥を仕込んだ。

 S様は旦那様にも数年前に亡くなられ、またいろいろな事情があり、一人で生活してい

る。将来このようなことが起こることを予感していたのだろうか、それで僕を頼ってこられ

たのかもしれない。

土曜日、唯一話の出来る息子の次男様が東北からお見舞いに来られた。

一日だけおられ、明日にはもう東北へ戻らなければならないそうである。

次男様はこのような状態ではとても生活できる状態ではない。入院させたいと思っている。

しかし、病院側がコロナのせいかあまり承諾してくれないのだそうだ。

ぼくには食事の面が心配だから見てほしいと頼まれる。

土日をまたぐので、病院は2日休み。その間、お粥やおかずのいり卵を作ったり

S様が食べたいといった缶詰を買いにいったり、肉じゃが作って持って行ったりした。

食べるのもしんどい様子だったが、
口、三口、口にしてくれた。

「月曜日また病院までの付き添いお願いね。」と言われる。

 
 当日朝S様に確認の電話をすると、

「次男が入院の手はずを取ってくれたから、今日行ったらそのまま入院します。少し準備を

するので、はやめにきてくれませんか?」

と弱々しい口調で言われる。



翌朝、玄関に入り、横になっているSさんに声をかける。
 
「おはようございます。調子はどんなですか?」
 
「あまり良くないです。」とS様。
 
「起き上がれますか?」
 
「・・・・。」
 
「抱えましょうか?」
 
 頷かれる。

 
 僕は抱きかかえるようにしてS様の上体をベットから起こした。
 
 起こしても手を離せばまた倒れてしまいそうなくらい力少なで不安定だった。
 
 一瞬目がうつろになり、嘔吐される。
 
「これは通院どころではないな。道中に何かあったら・・・。」
 
S様、再び横になる。

 「救急車か・・・。」


 S様に聞いてみる。
 
「救急車呼びますか?」
 
「ちと大げさすぎない?近所の人みんなびっくりするわね。」
 
「自分で起き上がれますか?」
 
「無理。」

 
 一応、まずは相談という形で、119に電話をかけた。


状況を説明すると、最終的には「ご自分の判断で!」ということだった。
 
医療的なことも含めて相談したいのでしたらと保健師とつながる電話番号を教えてもらっ

た。その保健師さんも細かい医療的なことはかかりつけ医でないとわからないので、後はご

自分の判断で・・・ということだった。

 
 ならばと救急車を呼ぶことにした。
 
10分もたたないうちにサイレンを鳴らしながら救急車がやってきた。
 
すぐにS様はタンカーにのせられ運ばれていった。僕も付き添いで救急車に乗ることになっ

た。

 
しかし5分、10分しても発車しない。

「何やっているのかしら・・・。」S様いわれる。

どうやら、何かの手はずがとれてないようで、病院側がその確認作業、対応で時間を要して

いた。

20分くらいたっただろうか、ようやく動きだした。

「ピーポー、ピーポー」車をかき分けるようにして進んでいった。

すぐに病院についたが、入り口の前でまたしばらく立ち往生だった。

次男様に連絡すると、

「今から電話して入院の手はずをとります。」と言われた。

「え?されてなかったんだ。」ここで初めて知った。

20分くらい待っただろうか、何とか病院に入ることができた。



しばらくして、看護師さんから

「入院の手はずが取れましたので。」と言われる。

ぼくは今日一日のことを顧みながら、とりあえずはホッとした。


 次男様からは「はち太郎さんには感謝しかありません。」といっていただいた。

「役に立ったんだな。これでよかったんだな。」と思った。

しかしこのコロナ禍。

後日、お見舞いも、面会も、お花も渡せないことを知り、何もできないことに不甲斐なさを

感じてしまう。仕方がないのだけれど・・・。

S様との連絡も通じない。また一人で孤独に病気と闘っているS様に

早く良くなってまた元気に畑仕事できるようにと願うばかりである。
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